嫉妬は焦げ付きこびりつく。黒く醜い心だ。でも、アヤにはおさえ方が分からなかった。
ケンタの様子がおかしくなったのが二ヶ月前。バイト先に新しい女の子が入ってきた頃。
余り仕事のできない子だとかで、グチをこぼしていたのが、いつからかぴたりとやんだ。携帯にメールがよく来るようになった。バイトが増えて、アヤとのデートが減った。どれも、ささやかなことだったが、積み重なれば十分疑わしい。アヤは苦しくて仕方なかった。
で、ある日、とうとうケンタの携帯をこっそり見てしまった。”ミサキ”からたくさんメールが来ていた。
『この間はおごってくれてありがとう~♪シェラのディナー、美味しかったね。また、連れてってほしいな。』
シェラ。2人が初めて行ったちょっと高めのレストラン。
アヤは頭の奥に杭を打たれたみたいに呆然とした。
アヤとケンタは、いつも割り勘で、むしろ、お金がないというのが口癖のケンタに、アヤがおごってあげることだって少なくない。なのに、ミサキには。。。
もちろん、お金の問題じゃない。自分より、彼女を大事にしていることが大問題なのだ。
自分から好きだって言ったくせに!
アヤのプライドはボロボロになった。
そうして、3日後、アヤは準備万端でケンタのアパートをたずねた。
「あれ、今日、来るって言ってたっけ?」
ケンタはちょっと驚いた顔をしたが、いそいそとアヤを招き入れた。
「ごめん、迷惑だった?」
「何言ってんの、嬉しいよ、俺はいつも逢いたいって思ってるからさ。」
アヤは心がひんやりするのを感じた。この口の巧さにだまされたのだ。
「なんか、飲む?」
「紅茶ある?」
「あぁ、ある、ある。この間、アヤがくれたティーバッグ、まだ残ってる。」
ケンタはお湯を沸かしにキッチンに行く。
アヤはその隙にバッグの中から包丁を取り出した。素早く、そばのクッションの下に隠す。きっと、ケンタはいつものように、アヤにキスしようとする。そしたら。。。目を閉じた瞬間に刺してやる。
さて、紅茶を飲み終わり、やっぱりいつも通りにケンタはアヤにキスをしようと寄ってきた。ケンタが目を閉じる。アヤは目を見開いたままクッションに手を伸ばす。
あれ?とアヤは思う。いつもアヤは目をすぐに閉じてしまうので、キスしようとするケンタの顔を見るのは初めてだった。
目を閉じて唇をちょっとつきだしたその顔は
。。。かなり間抜け
だった。アヤはけっこう幻滅した。こんな間抜けな顔の男を刺すのは、ちっともシリアスじゃない。悲劇のヒロイン気分をそがれたアヤは、どうしよっかなと迷う。でも、もう決めちゃったことだし。。。
心を奮い立たせ包丁の柄ををぎゅっと握りしめる。心臓がドクドクと、破裂しそうに跳ね上がる。
その時、ピーンポーンと軽やかにチャイムが鳴った。
ケンタはびくっと肩を震わせた。それからチャイムを無視しようとした。
「どうせ、勧誘とかだし」
「ケンタ~、いないの~?ミサキだよ~。」
と、ドアの向こうから高い声が響いた。
「あれ、おっかしいな、バイトの子だよ、何だろ?あれ、あれ?」
ケンタは、みっともないくらいにうろたえた。
「でなよ。」
アヤが冷たく言うと、ケンタは観念したように玄関に向かった。ドアが開かれる。
「きちゃった~。。。」
と、弾んだ声で言ったミサキの語尾が不自然にとぎれた。狭いアパートだったから、廊下越しにミサキにはアヤが見えた。もちろん、アヤにもミサキが見えた。2人の視線はしっかり重なった。
「どういうこと?誰、このひと?」
ミサキはケンタを押しのけ、部屋に入ってきた。目はすでに涙で潤んでいる。ケンタは、あたふたとして、アヤをちらっと見た。
「えっと、同じ大学で」
「ひどいよ、私のこと、好きだって言ったのに。」
アヤはミサキを見て、自分に似たタイプだなと思った。真面目でちょっと地味だけど、それなりにかわいくて、男の人に余り慣れてない、一途で思い詰めちゃうタイプ。
「いや、だから、誤解で、すれ違い的な部分が多々あって。今日は二人とも来るなんて言ってなかったし、あのその。。」
ケンタはシドロモドロだった。慌てたときのクセで、小鼻がピクピクしていた。前は、小動物みたいでかわいいとさえ思ったクセだけど、今は、死にかけた虫の最後の痙攣みたいに思えた。
アヤは、すっかりがっかりしてしまった。
「私、帰る。」バックを手に取り立ち上がる。
「あぁ、ごめん、また。。。」
『また』なんてないよ、と心の中で答えながらアヤは部屋をでる。
アパートの外はさわやかな夜風が吹いていた。アヤは、すごくすっきりした気分で伸びをする。サヤサヤと枝が風に揺れて心地よい音をたてる。つきものが落ちたみたいに、ケンタのことがどうでもよくなっていた。
バッグを肩にかけ、軽やかに歩き出す。
だが。。。10歩位すすんで、アヤはふと立ち止まる。
何か忘れてる気がしたのだ。
「ぎゃぁぁぁ」
ケンタの叫び声がした。そうだ、包丁をおいてきてしまった。
PR